大阪高等裁判所 昭和42年(う)1423号 判決 1967年3月30日
被告人 郡山守
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役三年に処する。
理由
本件控訴の趣意は、記録に編綴の和歌山地方検察庁検察官検事中道武次作成の控訴趣意書に記載のとおりであるから、これを引用する。
論旨は、原判決は「被告人は昭和四〇年六月三〇日午後八時五〇分ごろ、友人の高森彦行とともに、和歌山市中之島貝柄町三丁目四三九番地国鉄紀勢本線和歌山駅東二番踏切を通行中、見知らぬ中村信彦(当時二九年)とすれ違つた際、同人が右高森にぶつかつたことから口論となり、右中村が、刺身庖丁を持つて来たうえ、同所付近で被告人らに突きかかるに及んで、右高森と共同して、道端の箒で殴りかかつてこれに反撃したが、高森が中村の手から右庖丁を叩き落すや、被告人がとつさにこれを拾い、殺意をもつて、中村の左胸下部を突き刺し、心臓、肝臓等を切破して背部に至る貫通刺創を負わせ、よつて同人をして、そのころ同所東方約六〇メートルの路上において、右刺創に基づく失血により死亡させ、殺害したものである。」との公訴事実につき、「被告人の所為は、中村の自己及び高森に対する急迫不正の侵害に対し、これを防衛するため已むを得ずなした相当の行為であつて、刑法第三六条第一項の正当防衛に該当し、罪とならない。」との理由で、無罪の言渡しをしたのであるが、右被告人の行為は、正当防衛に該当しないにかかわらず、これを肯認した原判決には、事実の誤認があり、ひいては法令の適用を誤つたものであつて、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、とうてい破棄を免れないというのである。
よつてまず原審で取り調べた総ての証拠に、当審における事実取調べの結果を総合して、本件の事実関係につき考察するに、原判決挙示の証拠によれば、当初、被告人が友人菅谷組組員高森彦行(当時二四年)とともに和歌山駅東二番踏切を北へ通過しようとして前方から来た土工の中村信彦(当時二九歳)、同児玉信市(当時二六歳)とすれ違つた際、酒に酔うていた中村が故意に高森に次いで被告人に突き当り、かえつて高森に対し「なんど文句あんのかえ」とからみついたことから口論となり、中村が高森の胸ぐらをつかんで同踏切南側の中之島薬局北側横路上に引つ張つて行き、なおも口論しながら線路ぞいに約四七メートルさきの三差路角に至り、右高森が「仁義を受けんのに偉そうな口たたく」といつたことに激昂した右中村が、いきなり高森らに「待つとれ」というや否や原判示の三差路南へ走り去つたため、被告人は高森を促して帰るべく原判示の中之島薬局北側横路上付近まで戻つて来ると背後から右中村が刃渡り二三・二センチメートルの刺身庖丁一丁を携え、腹巻き、パンツのみの裸、素足で被告人らの方へ怒号しながら疾走して来る姿を目撃したので、高森は「あいつ刃物を持つてるぞ」と叫んで、そばの線路沿いの柵に立てかけてあつた長さ約一・三メートルの箒を取つて応戦の態度に出で、被告人も一旦ゴミ箱から螢光灯の球を取り出したが、すでに中村は被告人の目前に迫つており、同人は右庖丁を刃先を前に出して握り最初に被告人をめがけて突いて来たので、これを見た高森が、手にしていた二本の箒をもつて中村に殴りかかつて、中村の被告人に対する攻撃を妨害して阻止すると、中村は、今度は高森に突きかかつたのであるが、被告人は、右球を捨てて高森と同様、柵に立てかけてあつた箒一本を取りあげ、高森の右側に西向きに並んで、東向きに位置していた中村に対立すると、中村は被告人と高森に対して交互に手にした庖丁で数回にわたつて無茶苦茶に突きかかつて来るので、箒を左右に振つて中村の腕などを叩いて防戦したところ、高森の振りまわした箒が中村の手に当つて、その手から庖丁が約二メートルの間隔のあつた中村と被告人高森との間のほぼ中間あたりに、柄を被告人の方に、刃先を中村の方に向けて落したのであるが、素早く、中村は腰をかがめ上体を折るような姿勢で、右手を振り上げるようにし、左手を下にのばしてこれを拾おうとしたが、間一髪、被告人の方が早く庖丁を拾つてこれを手にしたのであるが、その瞬間被告人は無我夢中で、ほぼその姿勢のままで、同じように庖丁を拾おうとして腰をかがませてきていた中村に対し庖丁を下からやや斜め上に向けて突き刺し、その結果、中村の左胸下部から心臓、肝臓などを切破して背部に至る貫通刺創を負わせ、中村は、同所から東方約四七メートル先の路上まで駆けて行つたが、右刺創に基づく失血のためその場に倒れて死亡した事実を認めることができる。
進んで、本件につき正当防衛の要件の存否について判断するに、まず「急迫不正の侵害」の点について見ると、所論は、本件闘争における双方の形勢の推移から、はじめのうちは、被害者中村が刺身庖丁をたのみとして、被告人らに対し、はげしい攻撃を加え、被告人らは道端の箒をもつてこれに対抗したのであるが、一たび高森が被害者の手からその庖丁をたたき落し、被告人において、これを拾い上げて、被害者をして素手で闘う外はない状態に追い込んだときからは、形勢はたちまちにして逆転し、もはや被告人らに対し積極的な攻撃に出ることはできない状態であつたのであるから、はじめ被害者によつて加えられていた急迫不正の侵害は、すでに消滅していたというのであるけれども、前段認定の事実に徴し、帰りかけていた被告人らに対して、被害者中村が刃渡り二三・二センチメートルの刺身庖丁を構え腹巻、パンツ姿の裸、素足で怒号しながら、物すごい形相で迫つて来て、当初、被告人に、次いで高森に対して交互に手にしていた庖丁をもつて数回にわたつて無茶苦茶に突きかかつて来たため、被告人らは、これに対して所論指摘のように箒をもつて対抗して被告人及び高森の生命、身体に対する急迫不正の侵害に対して防衛したのであるが、その途中、なるほど高森の振り廻した箒が中村の手に当つて、中村はその手から庖丁を落し、一瞬、被告人の方が先にこれを拾いあげたため、被害者中村としては、もはや素手で闘う他はない状態に追い込まれたけれども、被害者中村は庖丁を落した瞬間、直ちに腰をかがめて拾おうとしているところからみると、右中村の攻撃意思は未だ十分あつたと認めるのが相当であり、いち早くたたき落された刺身庖丁を奪還して再び被告人らに対して前と同じように攻撃に出ることは当然予想される情況であつたと認められるから、原判示のように、このような状況の下にあつては、なお被告人らの生命、身体に対する中村の急迫不正の侵害は継続していたものと認めるのが相当であるといわなければならない。次に、被告人の行為は、自己及び同伴者高森の生命、身体を防衛する意図に出たものか否かの点について見ると、所論は防衛する意図に出たものではなくてむしろ攻撃する意図に出たものであるというのであるが、正当防衛行為はもともと急迫不正の侵害に対する反撃であるから攻撃意図の存在は防衛意思の存在を否定するものではない。要は防衛意思の存否である、本件において、被告人は司法警察職員に対し「中村が高森に突きかかつている間に、私は付近の柵のあたりで竹箒をみつけ、右手に一本持つた。そのころ、私は、相手が刃物を持つていることであり、相手をゆわすか、相手にやられるかわからんが、ゆくところまで行く決心がついていた。」旨供述し(昭和四一年三月九日附供述調書、記録一九七丁)ているところからみると、あたかも被告人に喧嘩闘争の意思があつたようにみられるけれども、検察官に対しては「私は、最初、中村が庖丁で突きかかつて来るので、それを防ぐために箒を振り廻したり、箒で相手を殴つたりした。中村は私にも高森にも同じ程度に突きかかつて来た。それで私と高森は箒をもつて防いだのであるが、その途中、気がついたら、中村の庖丁が下に落ちていたのである。私はその時高森の右側にいたのであるが、中村が直ぐその庖丁を拾おうとしかけているのを見たので、素早く中村より先に拾つた。柄が私の方を向いていたので拾いやすかつた。私が庖丁を拾つてから、その瞬間には、中村をそれで突いていた。(中略)その時、庖丁を投げ捨てたり持つたまま中村から離れることも頭に思い浮ばなかつた。今からそのときの自分の気持をふりかえつて見ると、口に出してうまくいい表わすことがむつかしいが、その瞬間本能的に攻撃の動作をしたのではないかと思う。」旨供述し(昭和四一年三月一一日附供述調書記録二〇五丁以下)ているのであつて、後者の方が、当時の被告人の心理状態をよく表現していると思われる。その内容から、被告人が凶器による突然の攻撃に対し、むしろ驚がく、興奮し、必死になつて防衛した状況がうかがえるのである。従つて、被告人の行為は、原判示のように、とつさの問にとられた、自己保存の本能に基づく衝動的なものであつて、自己及び高森の生命、身体を防衛する意思に出でたものであると認めるのが相当であるから、その行為は全体として防衛行為であるといわなければならない。次に被告人の本件行為が「已むを得ざるに出た」ものか否かについてみると、正当防衛にいわゆる「已むことを得ざるに出た」ものというには、必ずしも他に執るべき方法がないばあいに限るというわけではないが、その一面侵害を容易に避けうるにかかわらず逃避しないで重大な反撃を加えるのは、権利の正当な行使とはいいがたい。従つて、防衛行為は無制限に許容されるというわけではなく、客観的にみて通常人の合理的な判断により適正妥当として容認されるものでなければならない。その標準は侵害者の攻撃の強度並びに執よう性と防衛者の行使する方法とによつて決められるべきものであつて、侵害と防衛との強度がその時の具体的状況に照らして均衡のとれたものでなければならない。これを本件について見るに、前段認定のように、被害者中村の被告人及び高森に対する攻撃は、凶器の種類、攻撃の態様から、被告人及び高森の生命、身体に対する危険性の極めて高いものであつたこと、しかも中村は庖丁を高森の箒でたたき落されながら、これを拾つて攻撃を続行しようとして腰をかがめて拾おうとしており、一瞬早く被告人が右庖丁を拾い上げて手にしているけれどもなお急迫不正の侵害が継続しているのであるから、被告人が白己及び高森の生命、身体を救うために、なんらかの防衛行為をとることはやむを得ないところであるといわなければならない。しかし、中村が刃物をたたき落され、被告人がこれを先に拾い上げて手にしてからは被告人は、高森と二人で、しかも素手の中村に対し箒をそれぞれ持つて対抗するのであるから、かえつて被告人らの方が優勢となつたのであつて、被告人が手にした庖丁をその場から他に投棄し又はそれを持つて逃げるなどの方法により防衛する手段がなかつたわけではない。しかるに被告人は、自己保存の衝動的な動作であつたとはいえ、本件庖丁をもつて被害者中村を突き刺し心臓、肝臓等を切破して背部に至る貫通刺創を負わせて死亡するに至らせたのはやむことを得ざるに出た行為であることには違いないが、その段階の状況からいつて侵害と防衛との強度の均衡がくずれ相当性の範囲を越えるに至つたものというの外はない。以上の次第で本件被告人の行為は、中村による急迫不正の侵害に対し、自己及び同伴者高森の生命、身体を防衛する意図に出たものであつたが、その防衛の程度を越えたものといわなければならない。原判決が被告人の行為に対し刑法第三六条第一項を適用して無罪としたのは、事実を誤認しその結果法令の適用を誤つたものであつて、その誤が判決に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は結局理由がある。
よつて刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八二条、第三八〇条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書により更に判決する。
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和四〇年六月三〇日午後八時五〇分ころ、友人の高森彦行とともに、和歌山市中之島貝柄町三丁目四三九番地先国鉄紀勢本線和歌山駅東二番踏切を通行中、見知らぬ中村信彦(当時二九年)とすれ違つた際、同人が右高森にぶつかつたことから口論となり、中村が高森の胸倉をつかんで同踏切南側の中之島薬局北側横路上に引つ張つて行き更に右線路沿いに東方約四七メートル先の三差路上に至つて、高森が「仁義を受んのに偉そうな口たたく」といつたことに激昂した中村が、いきなり高森らに「待つとれ」というなり右三差路南へ走り去つたため、被告人は高森を促して帰るべく、右中之島薬局北側横路上付近まで引き返すや、背後から右中村が刃渡り二三・二センチメートルの刺身庖丁一丁を携え、腹巻き、パンツのみの裸、素足で、怒号しながら被告人らの方へ迫り、同所付近で被告人次いで高森に右庖丁をもつて無茶苦茶に突きかかるに及んで、被告人及び高森は共同して、この急迫不正の侵害に対し、その生命、身体を防衛するため、道端に立てかけてあつた箒を取り上げ、これをもつて抵抗したところ、高森の振りまわした箒が中村の手に当つて右庖丁をたたき落すや、中村は更にこれを拾い上げて攻撃を継続する気配を見せて腰をかがめてこれを拾おうとした際、一瞬、先に被告人がこれを拾い上げて手にしたが、当時中村の突然のしかも強烈な攻撃に対し驚がく興奮していたため、防衛上必要の程度を越えて、右中村の左胸下部を突き刺し、心臓、肝臓等を切破して背部に至る貫通刺創を負わせ、よつて同人をして、そのころ同所東方約六〇メートルの路上で、右刺創に基づく失血により死亡させたものである。
(証拠の標目)<省略>
(法令の適用)
被告人の判示行為は、刑法第一九九条に該当するところ、有期懲役刑を選択し、同法第三六条第二項により其の刑を減軽するのを相当であるとし、同法第六八条に則り主文第二項の刑を量定して処断することとし、刑事訴訟法第一八一条第一項但書により原審竝びに当審における訴訟費用は被告人に負担させないこととし主文のとおり判決する。
(裁判官 山崎薫 竹沢喜代治 浅野芳朗)